「なぜ現代の家から軒が消えたのか」——今回はこれを、設計の現場を歩いてきた一級建築士として、できるだけ正直に語ってみます。
軒(のき)とは、屋根が外壁よりも外側に張り出した部分のことです。横から見たとき、壁の上端から屋根がぐっと飛び出しているあの部分です。
日本の伝統的な民家や寺社建築では、この軒の出が1メートル前後あるのが普通でした。縁側の上に深く影をつくる軒、商店街の町家に連なる軒……古い街並みを歩くと必ず目に入ってくる、あの「庇(ひさし)のような出っ張り」です。
外壁への雨あたり:少ない
雨仕舞い:軒が自然に受け持つ
外壁の傷み:遅い
外壁への雨あたり:直接・強い
雨仕舞い:防水材・シーリングに依存
外壁の傷み:早い
「最近の家はなぜ軒がないのか」と聞かれると、一言では答えにくいんです。理由がひとつじゃないから。大きく分けると、コストの問題、デザインの問題、法規制の問題、この三つが絡み合っています。
軒を深く出すには、それだけ材料と工数が増えます。垂木(たるき)を長く伸ばし、野地板を張り、仕上げ材で包む。シンプルに言えば、「屋根の面積が増える」ということです。
坪単価を下げるためのコスト削減が続いた住宅業界では、外から見えにくい部分から少しずつ削られてきました。軒の出を短くすれば、屋根材の使用量が減り、施工時間も短縮できる。この積み重ねが、現代住宅から軒を消した大きな要因のひとつです。
コスト削減の積み重ねが「見えにくい部分」に集中するのは、住宅に限った話じゃないですが、特に屋根まわりはその影響を受けやすい場所です。建て主さんが完成後に屋根を毎日眺めるわけじゃないので、どうしても見えない部分は後回しにされやすい。設計者として、ここは正直悩むところです。
2000年代以降、「キューブ型住宅」が一気に普及しました。シャープな箱型のシルエット、フラットな屋根(あるいは屋根をほとんど見せないデザイン)、直線的なファサード。これがモダンでかっこいい、という共通認識が広まったのです。
深い軒は、キューブ型のシルエットと相性が悪い。軒があると、どうしても「古民家っぽい」「重い」印象になりやすい。デザイナーも施主もスタイリッシュさを優先するようになった結果、軒は「ダサいもの」として省かれていきました。
これはある意味、日本の気候風土を無視したデザインの輸入とも言えます。雨の多い日本に、雨仕舞いをほとんど考慮していない欧米由来のデザインが入り込んだわけです。
「カッコよさと雨仕舞いは両立できる」というのが僕の持論なんですが、それには設計者側のある程度の意地と知識が必要です。キューブ型でも、軒の代わりに庇をしっかり設けるとか、外壁材の選定を慎重にするとか、方法はあります。でも「とにかく見た目だけ」になると、10年後に雨漏りで後悔することになる。
これが意外と知られていない理由のひとつです。建築基準法上、軒の出は「建ぺい率」の計算に含まれる場合があります。敷地に対してどれだけの面積を建物が占めるか、という制限ですが、軒が長く出るほどその分だけ建ぺい率を消費してしまう。
狭い敷地に少しでも広い家を建てたい——施主のその希望に応えるために、軒を短くするという選択が生まれます。都市部の住宅密集地では特にこの傾向が強く、「法的に軒が出せない」というケースも実際にあります。
② デザイン:キューブ型・フラット屋根の流行
③ 法規制:建ぺい率・狭小敷地への対応
問題は「見た目」だけじゃありません。軒の短い家は、建物の耐久性に直接影響します。
軒の役割は雨水を外壁から遠ざけることです。軒が短いと、雨が直接外壁に当たる。外壁材とサッシの取り合い部分、外壁のひび割れ、窓周りのシーリングなど、あらゆる「弱点」に雨が容赦なく打ちつけます。
現代の住宅はそれを防水材やシーリング材でカバーしています。しかし防水材やシーリングには耐用年数があります。一般的に10〜15年で劣化が始まり、そのタイミングでメンテナンスをしないと、外壁内部への浸水→雨漏りという流れになります。
つまり軒のない家は、「最初から定期メンテナンスが前提の設計」になっているとも言えます。それが悪いとは言いません。ただ、昔の深い軒は「そもそも雨を防ぐ」という根本的な解決策でした。現代の設計は「浸水しても防水で止める」という後追いの解決策に頼っている面があります。
雨漏りの現場調査をしていると、「軒ゼロ」「フラット屋根」の家での相談が本当に多いです。「新築から10年でこんなことになるとは思わなかった」とおっしゃる方も少なくない。設計段階での選択が、10年後の修理費用に直結しています。これは業界全体が正直に伝えるべき話だと思っています。
最近、建築の世界では少しずつ「軒を見直す」動きが出てきています。ゼロ・エネルギー住宅(ZEH)の設計では、夏の日差しを遮断して冷房負荷を下げるために軒の深さが改めて評価されています。パッシブデザイン(自然エネルギーを活かす設計手法)の観点でも、深い軒は夏の日射遮蔽に有効です。
また、気候変動の影響で近年の台風や豪雨が激甚化していることも、「雨仕舞いを真剣に考えよう」という機運につながっています。「見た目のカッコよさ」だけで設計する時代は、少しずつ終わりに向かっているかもしれません。
「軒を深くとった方が省エネになる」というエビデンスが出てきたことで、ようやく設計の現場でも「軒をなくすのがかっこいい」という風潮に反論しやすくなってきた気がします。以前は「軒を出したい」と言うと施主さんに「古くさい」と言われることもあったので……(苦笑)。
日本の家から軒が消えた理由は、コスト・デザイントレンド・法規制という三つの要因が重なった結果です。決して「誰かが悪意を持って消した」わけではなく、時代の流れと合理的な判断の積み重ねがこの現状を生み出しました。
ただ、その結果として「定期メンテナンスが前提の住宅」が大量に生まれ、10〜15年後の外壁・屋根まわりのメンテナンスが避けられない状況になっているのも事実です。新築の設計段階から軒の深さを意識すること、そしてすでに軒の短い家に住んでいる方は定期的な点検を習慣にすることをおすすめします。
前回の佐原の記事と合わせて読んでいただくと、「昔の建物はなぜ長持ちするのか」がより立体的に見えてくると思います。深い軒、急勾配の屋根、通気を考えた構造……先人の知恵は、今の住宅設計が手放してしまったものをたくさん持っています。今後も、こういう話を少しずつ書いていけたらと思っています。



「軒が短い=雨漏りしやすい」というのは、現場を歩いてきた人間にとっては常識に近い話なんですが、意外と一般の方には知られていない。なぜそうなったのか背景を知ると、今の住宅の設計に対してちょっと違う見方ができるようになると思います。